『根拠なき自信があふれ出す! 「自己肯定感」が上がる100の言葉』(千田琢哉 著)
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・落ちこぼれてから、プロの人生は始まる。
・人間関係が苦手な人は、信用できる。
・好悪の激しい人は、仕事ができる。
・自分と親友になれれば、それが人生の成功だ。
・背筋を伸ばすと、 心身にエネルギーが充電される。
・どんな些細なことでもいいから、過去の栄光を思い出す。
・周囲から欠点を指摘されるようになったら、それはあなたが突出し始めた証拠。
・誰にも褒められないのに、継続できるものがある人は強い。
・落ちこぼれてから、プロの人生は始まる。
私がこれまで一緒に仕事をしてきて「この人は本当のプロだな」と感じた相手には、 次のような共通点があった。
それは、特定の分野で絶望的な状況に身を置いた経験の持ち主であることだ。
他人の二倍か三倍くらい物覚えが悪いのを努力で克服すれば、将来は「物覚えの悪い部下や後輩を育てるプロ」として、組織で重宝されるだろう。
物覚えが悪ければ悪いなりに、効率的な勝ち方を伝授できるはずだ。
そもそも他人よりも桁違いに物覚えが悪いという事実から、「ここは自分が勝負すべき土俵ではない」と悟ることができるだろう。
力士が長距離選手を目指すべきではないし、長距離選手も力士を目指すべきではない。
私もこれまでに数多くの分野で落ちこぼれてきたが、克服できる分野は克服し、克服できない分野はさっさと土俵を変えて、二度と近づかないように徹底してきた。
・人間関係が苦手な人は、信用できる。
もしあなたが人間関係に苦手意識を持っているなら、それだけ信頼に足る人だと思う。
理由は、人とは人間関係を大切に思うほど、負担に感じてしまうものだからである。
もし人間関係がどうしても辛くなったら、私はこう助言しておきたい。
即刻、共に生きる人と、その場所を変えよう。
そしてそれでも同じような人間に遭遇したら、極力人と会わない環境を構築しよう。
人間関係を負担に感じたら、それはあなたが誠実である証拠。
・好悪の激しい人は、仕事ができる。
ここだけの話、仕事ができる人には好悪が激しい人が多い。
仕事ができる人は途轍もない喜怒哀楽の振幅を、理性という鎧で覆い隠している。
そして喜怒哀楽の振幅のエネルギーを、鎧を脱いで仕事や風味にぶつけるのである。
だからこそ、優れた結果がアウトプットできるのだ。
だから、あなたが好悪の激しさを恥じる必要は毛頭ない。
人前で好き嫌いをことさらに話したりすることは、醜くて恥ずべき行為だと思うが、 自分の内に秘め、好悪のエネルギーを仕事にぶつければ、これ以上役に立つものはない。
好き嫌いが激しい自分を恥じることはない。
好きなことを好きと表現し、嫌いなことからは潔く身を引けばいい。
・自分と親友になれれば、それが人生の成功だ。
人生は結局、「自分こそが自らの親友である」と確認するための修業ではないか。
つまりはあなたが心と身体で人生に立ち向かい、生き残る冒険旅行のようなものだ。
私が自分のことを親友と思えれば、あらゆる人間関係の悩みは細なことに思えた。
自分が自分の親友なのだから、どんなに孤独でも、自分が生き続ける限り親友はいなくならないのだ。
他人の言動に左右されることはない。
自分の意思を常に尊重し、自分とともに人生を歩んでいけばいい。
・背筋を伸ばすと、 心身にエネルギーが充電される。
背筋の真っ直ぐさと、自己肯定感の高さは比例する。
試しに、あなたの周囲を見渡してもらいたい。
この法則に、ほぼ例外はないはずだ。
背筋が伸びているのに自己肯定感が低い人はいないし、猫背なのに自己肯定感はやたらと高い、という人もいない。
これにはちゃんとした理由がある。
背筋を伸ばすということは、背骨を伸ばすということだ。
背骨には体の中心となる神経が通っており、背骨が真っ直ぐに伸びた状態こそが神経が最高に機能する状態だ。
神経とは「神気経脈」の略であり、要は、精神(魂)の気が通る道のことだ。
あなたが背筋をビシッと伸ばせば、あなたの身体中に心が通じやすくなる、と考えるとわかりすい。
身体の隅々まで縦横無尽に張り巡らされた神経が心と同調する状態になるのだから、あなたが元気にならないはずがない。
日々の生活で、あなたに多少辛いことがあってうなだれていても、たった1秒間背筋を伸ばすだけで、心身にエネルギーが充電されるのだ。
わざわざ高い栄養ドリンクを飲む必要もない。
落ち込んだ時は、まず背筋を伸ばそう。
たった1秒背筋を伸ばすだけで、心身にエネルギーが充電される。
・どんな些細なことでもいいから、過去の栄光を思い出す。
綺麗事を抜きに、過去の栄光はとても大切だ。
過去の栄光にしがみつくのはいけないが、過去の栄光を上手に活かすのは素晴らしい。
たとえば就職活動でなぜ、エントリー シートの入力や履歴書の提示を求められるのか。
それは面接を受ける側の過去の栄光を知りたいからである。
その人の半生でピークに達した経験こそが、その人の信用を知る物差しである。
・周囲から欠点を指摘されるようになったら、それはあなたが突出し始めた証拠。
欠点を指摘されるのが好きな人はいない。
口では「欠点を指摘していただいて、誠にありがとうございます」と言っても、単なるやせ我慢であり、そういう人に限って本心は腸が煮えくり返っているものだ。
しかし、あなたは成長すればするほど、周囲から欠点を指摘されるようになる。
「成長したら一目置かれて、周囲から尊敬の眼差しを向けられるだろう」と甘い期待を持っている人は多いだろうが、現実はそうはならない。
それは、あなたが成功を重ねて雲の上のような存在になってからの話であり、ちょっとやそっとの成長では、周囲はあなたを決して認めないのだ。
なぜなら「身近な相手を認める」のは、誰にとっても悔しいことだからである。
人は、最初から桁違いの相手には何も思わないが、もともと同じ集団に属していた相手がレベルアップした途端、悪魔に豹変するのだ。
森鴎外の『智恵袋』にこんな一節がある。
「世の人よ、もし過ちてかかる境界に堕在せば、 早く汝が頭の上に利刃のきらめくを知りて、避けらるる限りは避けんことを試みよ」
世間とは、万能と思われる人物が一度でも何か失敗をやらかすと、途端に狂喜してバッシングするものだから、細心の注意が必要であるという教訓だ。
とりわけ利刃のきらめく」という部分が、味わい深いと私は思う。
嫉加や炭望とは、鋭利な刃物の如く冷酷な人間の本能だという比喩である。
鴎外はまた別の個所で、必死で粗探しをする世間の目を「顕微鏡」とも表現している。
以上、これから成長し続けることを目指すなら、周囲の批判や嫉妬は避けられない、ということに気づいてもらえたのではないかと思う。
もし身近な人々から理不尽に欠点を指摘されたら、あなたが突出し始めた証拠である。
さっさと別のステージに引っ越して、伸び伸びと成長し続けてもらいたい。
・誰にも褒められないのに、継続できるものがある人は強い。
褒めて伸ばす教育が有効なのは幼少の頃、あるいは学習の初期段階での話である。
ところが一度、初歩や基礎が完成すると、褒めてばかりいては逆効果となる。
なぜなら、いつまでも褒め続けていると、「褒められるからやっている」「褒められないとやらない」習慣が身についてしまう。
一度こうした習慣が身につくと、元に戻すのは困難になる。
大切なのは級にも褒められない、褒められないのに継続できる何かを待つことである。
20世紀に活躍したロシアの作家レオニード・レオーノフの長編小説「穴熊』に、名もなく貧しい帽子職人の老人が登場する。
ロシア革命直前の貧民街を背景に描かれた作品だが、その順子職人は、来る日も来る日も、淡々と帽子を作り続けるのだ。
支配者が誰になろうが、国家の体制が共産主義か民主主義かなどは一切関係なく、後はただ帽子を毎日作り続けて、自分の使命を全うした。
私は今でも、この帽子域人を様にして生きている。
なぜなら私がこれまで感銘を受けた人々の生き様の結晶が、この帽子職人なのである。
人生において評価のあるなしは重要なことではない。
あなたは淡々と、成すべきことを成していればいい。
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