『学校が苦手な子どものためのアドラー心理学: どうすれば不登校傾向の子どもを勇気づけられるのか』より

学級経営

『学校が苦手な子どものためのアドラー心理学: どうすれば不登校傾向の子どもを勇気づけられるのか』(横田秀策 著/山口麻美 著)
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・宿題は先生と子どもとの約束で、子どもが自分で責任を持つことが大切
・学校で生活するなら学校の決まりを守る必要があり、そうすることで「共同体感覚」を身に付けていく
・罰ではなく「論理的結末」に基づいた規律の中で関わることが大切
・「特権の喪失」マナーやルール、約束事を守れない場合、使用できなくなる
・ルールやマナー、約束事を「守るべきもの」にするためには、教師や保護者、子どもで合意形成する必要がある

・宿題は先生と子どもとの約束で、子どもが自分で責任を持つことが大切

親や大人にやらされている、と思っている子どもは、宿題を出さなくてもうるさく言わない教員が担任になると、途端に宿題をやらなくなったりする。

私は、宿題は先生と子どもとの約束で、子どもが自分で責任を持つことが大切だと感じている。

責任を持つためには、子ども自身が自分が守れそうだと思う約束をしなくてはならない。

ですから、宿題の内容は、本来なら、子どもによって異なって当然。

宿題をやらない子どもに対しては、担任の先生と子ども本人との間に信頼関係を築いた上で、先生と子どもが約束することが大切。

・学校で生活するなら学校の決まりを守る必要があり、そうすることで「共同体感覚」を身に付けていく

私がこのように考える訳として、アドラー心理学の目的論、主体性、自己決定性の考えに加えて、「論理的結末」という考えがある。

アドラー心理学は、子どもが体験を通じて学ぶことを重視していて、大人が子どもの問題に介入しすぎたり、先回りしてやりすぎてしまうことは、子どもから学ぶ機会を取り上げてしまうことになり、ひいては勇気くじきになると考える。

「論理的結末」とは、ディンクマイヤーらの説明によると、「食べ物をこぼした人は片付けなくてはいけない」「休み時間に喧嘩をしたら、休み時間がなくなる」「決まった機嫌までにレポートを出さなければ、0点になる」というようなもので、社会的な規律、決まり、ルールが関与していて、その枠組みの中である行為の結果として生じるもの。

学校で生活するなら学校の決まりを守る必要があり、そうすることで「共同体感覚」を身に付けていく。

・罰ではなく「論理的結末」に基づいた規律の中で関わることが大切

「宿題」は、学校社会の決まりの一つ。

先に引用したディンクマイヤーらは、「論理的結末」は、罰とは異なると説明している。

大人(教師)と子どもが良い関係を築くためには、罰ではなく「論理的結末」に基づいた規律の中で関わることが大切であると述べている。

このような関係性では、事前に論理的結末について、両者が共通理解して、承知していることが必要。

宿題をやってこなかったら、宿題が増えるなどは、罰になるかと思う。

罰と論理的結末との違いが難しいこともあるだろうが、要は、信頼関係に基づいて、お互いが責任を持って約束をするということ。

「宿題」という約束を守ること、守らないことで、どのようなことが起こるのか、論理的結末の中で、経験から学ぶことが大切。

・「特権の喪失」マナーやルール、約束事を守れない場合、使用できなくなる

社会的・感情的な学習アプローチでより良い教育を目指すResponsive Classroom(https//www.responsiveclassroom.org/three-types-of-logical-consequences/)では論理的結末で次の3つのタイプを示している。

①「あなたが壊したのだから、あなたが直そう」
 汚したものや壊したものを片付けることなど

②②「特権の喪失」
 マナーやルール、約束事を守れない場合、使用できなくなるなど

③「ポジティブタイムアウト」
 校風しすぎて混乱する場合、落ち着くためにその場を離れることなど

・ルールやマナー、約束事を「守るべきもの」にするためには、教師や保護者、子どもで合意形成する必要がある

教師や保護者が勝手に決めたルールやマナー、約束事は、子どもとの間に相互尊敬・相互信頼や唯一性(平等性)が保障された状態であるとは言えない。

保障されていないわけだから、そのようなルールやマナー、約束事は「守らなければならないもの」ではない。

ルールやマナー、約束事を「守るべきもの」にするためには、教師や保護者、子どもで合意形成する必要がある。

そのために活用できるものとしてアドラー心理学では家族会議やクラス会議が提唱されている。

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