『ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」』(片田 智也 著)
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・感情をコントロールしようとムキになった結果、よけいに感情に振り回される
・「ネガティブ感情を感じてはいけない」というポジティブ病にかかると、ネガティブな感情への恐れが生まれる。
・集中力を発揮するポイントは、「何に意識を向けないか」を明確にすること
・精神を休めるには「何もしないこと」が必要
・タダで(簡単に)手に入る情報を本気で受け取らない
・不安を誰かに話すのは、解決策を得るためではなく「不安を安心に変えるため」
・「イライラしない」と宣言したりするのはふしぜん、かつ危険な発想
・「~にイライラさせられた」と、「受け身の言葉」でイライラや怒りを表現しない
・思った通りになる、という期待をやめる
・「生の感情」は、そのまま表明するには、恥ずかしいものがほとんど。だからこそ、表面に怒り加工を施し、遠回しに本音を伝えている
・「やる気を出そう」とするのをやめる
・比べるから落ち込むのではない。落ち込んでいたいから比べるのだ。
・目標は、達成するために立てるのではない。パフォーマンスの限界を更新するために立てる。
・人間はもともと「まわりを変えたがる動物」
・人の評価というのは、ほぼ気分で決まる、事実とは無関係
・「ほめられて喜ぶ」のをやめる
・感情をコントロールしようとムキになった結果、よけいに感情に振り回される
感情そのものは、直接コントルールできない。
コントロールできないものを操作しようとすると、感情が暴れ出す。
感情とは、コントロールではなく、マネジメントするもの。
・「ネガティブ感情を感じてはいけない」というポジティブ病にかかると、ネガティブな感情への恐れが生まれる。
不安や落ち込みが、悪いもの、不吉なもの、罪なものに見えてくる。
何か汚いものでも見るかのような目で、自分の内側に湧いた感情を見る。
すると、不安になったことを不安に感じたり、イライラした自分にイラついたり、すぐに落ち込む自分の正確に落ち込んだり、へんてこな現象が起きる。
ネガティブ感情は「あなたの身を守るため」に生まれる。
・集中力を発揮するポイントは、「何に意識を向けないか」を明確にすること
集中とは、「それ以外」に意識を分散させないこと。
その結果が集中という状態。
集中力は何かを捨てることから生まれる。
パフォーマンスに集中したければ「何を視界から消すのか」をはっきりさせておく。
・精神を休めるには「何もしないこと」が必要
いったいどうすれば精神を休めることができるのか。
まずは、その「どうすれば?」という視点からはなれること。
私たちは「何かすれば問題が解決する」という発想に囚われ捨て居る。
「何もしない」をする。
これが精神的な休養の基本。
ポイントは「五感」を使うこと。
「今ここの現実」を見たり、聞いたり、触ったりしてみる。
それについて考えて、精神の筋肉を使わないように。
集中力が「狭く深く」だとしたら、広く浅くボンヤリと。
・タダで(簡単に)手に入る情報を本気で受け取らない
手に入りやすい情報はネガティブな方向に歪んでいる可能性が高いから。
人の脳は、「情報を公平に扱うこと」ができない。
人の脳は「リスクに関する情報」を優先するようにできている。
情報の発信者は、この認知バイアスの存在をよくしっている。
数字を増やすため、内容や表現がネガティブ化するのは当然のこと。
手に入りやすい情報ほど、ネガティブな方向に偏りやすい。
人間の認知機能というのは、石器時代から変わっていない。
私たちの脳はテレビやユーチューブを理解できない。
事件や事故、災害、ネガティブな情報をインプットすると脳はこう認識する。
「マズいな。すぐ近くまで危険が迫っているじゃないか!」
画面越しだからといって、脳が考慮することはない。
危険避けなければと不安や緊張を起こし、自動で警戒モードに切り替わる。
・不安を誰かに話すのは、解決策を得るためではなく「不安を安心に変えるため」
「人に話したところで意味なんかない」、そう考えるのをやめる。
人間は協力すると強い。
強さの根源は、連携や分業といった協力プレーにある。
問題はあっても安心を感じられるのは①共通の目的があって、②仲間と協力していて、③感情を共有しているとき。
一つの問題に一丸となってみんなで立ち向かっているときは、問題が山積みでもなぜか気持ちは落ち着いているもの。
他人事だとしても、自分のことのように一緒にかんがえてくれる姿勢。
そこに安心感を覚える。
結果、不安が軽減し、冷静になれる。
・「イライラしない」と宣言したりするのはふしぜん、かつ危険な発想
イライラしないと決めると、イライラしてしまった自分にイライラすることになる。
これは「ムダなイライラ」。
重要なのは、こういった「ムダなイライラ」を自分から増やさないようにすること。
イライラとは「思った通りにことが進まず、不安が募っている」状態、感情。
想定外のことが起きているが、大丈夫か? とチクチクとしつこく警告してくれている。
イライラそのものが問題なのではない。
あってしかるべき自然な反応を許容できないこと、それによって「ムダなイライラ」を増やしていることが真の問題。
イライラを感じたら、ゆっくりと「思った通りにことが進まず、焦っている。そしてそれは普通のことだ」とつぶやいてみる。
自然なイライラは許容し、ムダなイライラを増やさないこと。
・「~にイライラさせられた」と、「受け身の言葉」でイライラや怒りを表現しない
私の感情は他人や環境に左右され、私に主導権はないと意思表示していること。
まわりに振り回されてしまうのも当然。
・思った通りになる、という期待をやめる
「期待と現実の差」が、イライラや怒りの質量。
イライラとは「思い通りにことが進まず、不安が募っている状態」
怒りは、不安に耐えられず「思い通りに誰かや何かをうごかそうとする意志」
思い通りにならない不安が外に漏れてしまい、本来、コントロールできないはずの他人や結果を思い通りに小河下層とする。
その手段が怒り。
現実に期待するとは、イライラすかどうかを自分以外に委ねるということ。
怒りを感じることがあってよし、だが、人にぶつけることはやめる。
・「生の感情」は、そのまま表明するには、恥ずかしいものがほとんど。だからこそ、表面に怒り加工を施し、遠回しに本音を伝えている
悲しい、寂しい、悔しい、辛い、情けない、が生の感情。
その感情に怒りの加工をして伝えている。
・「やる気を出そう」とするのをやめる
やる気も、意志でコントロールするような代物ではない。
やる気を出そうというのは、よし今日は晴れにしようと言っているのと同じこと。
やる気が出ない理由はシンプル、やりたくないから。
やる気がない=やるぞという気持ちがない。
・比べるから落ち込むのではない。落ち込んでいたいから比べるのだ。
他人と比べるのは「ダメな自分を確認するため」
自分のダメさ、を確認できればそこに立ち止まっていられるから。
向き合うべきことに挑戦しない納得材料になる。
他人と比べるのは、「逃げ腰になっているサイン」
逃げ腰の強者より、腹をくくった弱者の方が強い。
ダメさを確認するのはやめて、「よし、この自分で戦う」と決める。
そうすれば、手元にあるカードを活かす筋道が見えてくるはず。
・目標は、達成するために立てるのではない。パフォーマンスの限界を更新するために立てる。
達成できそうな目標を立てるのを、やめる。
達成できそうな目標を立てるのは、結果を出せない人の考え方。
結果を望むなら、もっと遠くの方に目標を置く。
・人間はもともと「まわりを変えたがる動物」
人間以外の動物は、まわりの変化に合わせてゆっくりと自分を変えていく。
人間は自分に会わせて環境を変えてしまう。
・人の評価というのは、ほぼ気分で決まる、事実とは無関係
哲学者のニーチェはこう言う。
「評判は気にするな。人間は、間違った評価をされるのが普通だ」
重要なのは「人の評価を気にして集中を乱さないこと」
「まったく気にならない」という境地に達する必要はない。
「どう思われているのかな」、人の目に意識が奪われるときほど、「どうにもならないことは無視」と、自分のパフォーマンスに意識を戻す。
・「ほめられて喜ぶ」のをやめる
本当に人の目から開放されたければ、悪い評価以上に、よい評価にこそ警戒してください。
アドラーは「褒めることは、褒められることに依存する人間をつくる」と言っている。
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