『人生の教養が身につく名言集』より

本の学び

『人生の教養が身につく名言集』(出口 治明 著)
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・巨人の肩に乗っているから、遠くを見ることができる
・人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である
・「たら」が好きなら魚屋でタラを買え、「れば」が好きなら肉屋でレバーを買え
・「何が容易なことか?」「他人に忠告すること」
・算数で考えるとリスクがコストに変わる
・アウトプットとは母語による「言語化」
・私のように、教育を受けていない、孤児院で育った無学な女でも、まだ1日に1つぐらい花の名前を新しく覚えることはできる。
・年齢の傲慢さは、許しがたい。若い人に教えを乞うべき
・仕事をしている時間は人生のせいぜい3割
・力強いとは、相手を倒すことではない。怒って当然というときに自制できる力を持っていること

・巨人の肩に乗っているから、遠くを見ることができる

ベルナール・ド・シャルトルの言葉。

過去の賢い人や、その人たちが残した研究成果などと「巨人』にたとえ、その力を借りれば、私たちはより広く、より深く、より遠くまでこの世界を見ることができる。

・人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である

シェイクスピアの翻訳せ知られる小田島雄志さんの言葉。

一般的な感覚として、楽しいことやうれしいことはたくさんあってもいいけれど、悲しいことやつらいことはできるだけ少なくしたい、私たちはついそう思いがち。

つまり、プラスの感情はOKだけど、マイナスの感情はNG。

でも、それはそれで人生が味気ないものになってしまう。

・「たら」が好きなら魚屋でタラを買え、「れば」が好きなら肉屋でレバーを買え

AかBかで迷い、Aという選択をしたなら、Bを選択した場合の人生は存在しない。

愚痴を飲み込んで、振り返らないのが一番。

・「何が容易なことか?」「他人に忠告すること」

古代ギリシアの哲学者タレスの言葉。

何が困難なことかと問われて、自己自身を知ることと答え、何が容易なことか、と問われて、他人に忠告すること、と答えた。

・算数で考えるとリスクがコストに変わる

清水の舞台から飛び降りるように言われたと仮定する。

国語で考える人は、高い所から飛び降りたら、死んでしまうかもしれないと、なかなか飛び降りる決心がつかない。

そのまま悩み続ける。

算数で考える人は、清水の舞台の高さを数字に直す。

2mもないと分かれば飛び降りる行動に出られるかもしれない。

8mはあると分かれば、丁重に断るという行動に出られる。

国語で考えるとリスクはいつまでもリスクのままだが、算数に直して考えると、コストに転化しやすくなる。

・アウトプットとは母語による「言語化」

インプットしたままの他人の言葉ではなく、自分の頭で咀嚼して自分の言葉に弾き直して言語化する。

その作業を経ることによってはじめて、自分の頭の中の「情報のタンスの中の引き出し」(自分の辞書)を整理することができる。

言語化の作業を経ないと、情報は頭の中の「タンス」の中でぐちゃぐちゃになったまま。

・私のように、教育を受けていない、孤児院で育った無学な女でも、まだ1日に1つぐらい花の名前を新しく覚えることはできる。

ココ・シャネルの言葉。

彼女はまさに一生、学び続けた人。

87歳で亡くなるまで、ファッション界の第一線で活躍。

1日1つでもいいから、何かを学ぶ。

学ぶことで、その1つがわかるようになる。

・年齢の傲慢さは、許しがたい。若い人に教えを乞うべき

保守主義者のエドマンド・バークの言葉。

経験を積んだ高齢者は、若者という経験の浅い存在に教えを乞え。

経験があるからといって、そこに驕ってはいけない。

傲慢になってはいけない。

・仕事をしている時間は人生のせいぜい3割

たかだ3割にすぎない仕事がいつの間にか「人生の幸せ」を測る「モノサシ」となってしまい、その結果、人生を楽しめずにいる人が少なくないように思われる。

仕事は3割だから、その人の人生すべてを支配するものではけっしてない。

・力強いとは、相手を倒すことではない。怒って当然というときに自制できる力を持っていること

イスラム教の開祖・ムハンマドの言行録である「ハディース」の一節。

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