『ざんねんな名言集』より

本の学び

『ざんねんな名言集』(真山 知幸 著)
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・学校は地獄であった 江戸川乱歩
・私の人生の春は花で飾られていませんでした バルザック
・心が糸の如く乱れています 高杉晋作
・夜の間も長時間、しばしば我慢の限界まで働くことになる エジソン
・今日もまた仕事でつらい一日だった ゴッホ
・どうにも仕上がらん できんのだ ヘミングウェイ
・昼夜仕事のことしか考えない。このような工夫を、私は今まで絶えてきた。今も絶えている ミケランジェロ
・苦しい、つらい、息ができない、だるい、死にたい カント
・こんな血のにじむような苦労をして、それでも当たらないなら、鉄道自殺するか 野口英世
・何をする気もない 石川啄木

・学校は地獄であった 江戸川乱歩

スポーツが大の苦手、体育の時間に苦しめられた乱歩。

校長小学校、中学校ではひどいイジメに遭った。

・体操にいたっては、まったく絶望的だった チャーチル

私は、この学校が心の底から嫌いだった。

2年以上も不安におびえながらすごしたのだ。

勉強の成果などあるはずはなかった。

・私の人生の春は花で飾られていませんでした バルザック

破天荒な生活を送ったバルザックが、自身の幼少時代を振り返って言ったのが、この言葉である。

・心が糸の如く乱れています 高杉晋作

念願の江戸入りを果たすも、晋作は人気の私塾を2ヶ月で退学。

江戸の生活になじめず、松陰にその思いを手紙に綴って吐露したのが、この言葉である。

・夜の間も長時間、しばしば我慢の限界まで働くことになる エジソン

エジソンは、40歳のときに、アメリカニュージャージー州北部の片田舎に、世界最大規模の巨大な発明工場を作った。

工場の労働条件はあまりにも過酷なもので、勤務時間はあってないようなもの。

何時間も休みなしで実験を行うこともあった。

エジソン自身も限界まで睡眠時間を削っていたため、従業員たちも当然そうすべきだと考えていたようだ。

・今日もまた仕事でつらい一日だった ゴッホ

・どうにも仕上がらん できんのだ ヘミングウェイ

とうにも仕上がらん。

できんのだ。

1日中、仕事机に向かい、1日中ここに立ったまま、がんばって、ほんの、ほんのちょっと1行かそこらを書き足すだけ、いたもっとかもわからん。

が、とにかくできんのだ…

・昼夜仕事のことしか考えない。このような工夫を、私は今まで絶えてきた。今も絶えている ミケランジェロ

システィーナ礼拝堂の天井画では、ずっと上を見上げて描いたため、腰は折れ曲がり、視力も激減。ただひたすら仕事のことだけを考えて、身体はボロボロだった。

人との交流を避け、食べるものにも着るものにも関心がなく、靴を履いたまま、服を着たまま寝ることもあった。

苦痛の中でひたすら働き続けた。

・苦しい、つらい、息ができない、だるい、死にたい カント

カントがルーティンを大切にしたのは、自身に体調不安があったからだ。

この言葉は、少年時代のカントの口癖である。

常に体調は悪く、その気持ちを吐露していた。

・こんな血のにじむような苦労をして、それでも当たらないなら、鉄道自殺するか 野口英世

野口は、名誉への渇望を隠さず、成り上がることを明確に目指した。

晩年、知人に次のように語った。

「私にとって研究は投機、または賭けの一種だ。

 一生懸命やっても、結果は当たるか外れるかわからない」

その後に、続けたのが、この言葉である。

・何をする気もない 石川啄木

「社に行こうか、行くまいかという、たった一つの問題をもてあました。

 行こうか?

 行きたくない。

 行くまいか?

 いや、いや、それでは悪い」

よく仮病を使って、会社を休んだ啄木。

家主からの家賃の催促にも辟易し、先の見えない未来に不安を吐露したのが、次の言葉である。

「こういう生活をいつまで続けねばならぬか?

 この考えはすぐに予の心を弱くした。

 何をする気もない」

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