『一瞬で不安をしずめる名言の知恵』より

本の学び

『一瞬で不安をしずめる名言の知恵』
(高田明和 著)
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何も打つ手がない時、一つだけ打つ手がある。
勇気を持つことだ。(ユダヤのことわざ)

自分の心が正しいと思うことをしなさい。
どっちにしたって批判されるのだから。
         (ルーズベルトの妻)

病気と寿命は別のもの。
病がいつ死につながるかは寿命に任せ、
病を一つの試練と観じ味わい、大事に大切に養いたい。
           (松下幸之助)

・才能は孤独のうちに育つ
・他人はあなたの性格など気にしない
・すぐキレるのは、自分の気持ちを表現する道切な言葉を知らないから
・いくら嫉妬してもよい。嫉妬心を向上心に変えることが大切
・雲や嵐なしにはいかなる虹もあり得ない。
・あまりに目立つ才能があると、人に使われるだけで終わってしまう恐れがある
・幸福につながるか、不幸のもとになるかは、あらかじめ決まったものではなく

・才能は孤独のうちに育つ

ゲーテも「才能は孤独のうちに育つ」と言っています。

すぐれた人はみんな、独りの時に成長したのです。

日本では、友人がいないのは、他人を受け入れられない性格だからだという考え方が定着しています。

「親友がいない」などと言うと、精神的に欠けていると見られが
ちです。

しかし、他人の刺激が自分のものとなるには独りの時間が必要なことを見落としてはいけないと思います。

とくに、子供に「友達がいない? だめだ。もっと人とつき合ったらどうだ」などと説教をするのは厳禁です。

子供は自分に自信がありません。

ですから、親にそう言われてしまうと、「孤独は悪だ」「自分は人に嫌われるだめな人 間だ」と思うようになるからです。

私は偏った性格は自分の宝であり、変えようとすれば平凡な人間になってしまうと考えています。

もう一つ大事なのは、最も重要な事柄は独りで決断しなくてはならないということです。

何かをなしとげようとする時は、自分に向かい合わなくてはなりません。

この時、自信がなければ、決断ができません。

・他人はあなたの性格など気にしない

○他人はあなたの性格など気にしない

他人は、あなたが役に立つか、一緒にいて楽しいかだけを考えてつき合います。

少し変わっているレベルなら、他人はそう注意を払わないのです。

○性格を無理に変える必要はない

ある人たちから「つき合いにくい」と遠ざけられても、別の人たちからは「悪くない性格だ」と思われることがあります。

ですから、今の人間関係の中で、よい性格だと思われたいと無理に願うことはないのです。

○性格は長い目で見たほうがいい

今はよくないと思っても、のちに「こんな性格でよかった」と思える日も来ます。

・すぐキレるのは、自分の気持ちを表現する道切な言葉を知らないから

私たちは、嫌なことを言われたりされたりするとムカつきます。

その感情が限度を超えるとキレてしまい、我を忘れて大声を出したり、言葉や暴力で人を傷つけたりします。

そうなれば「あんな人だったのか」と一生の烙印を押されますし、人間関係や地位を失うことにもなりかねません。

怒りを爆発させないためには、日頃から本を読んでいろいろな考え方を知っておくことが大切です。

言葉には大きな力があります。

いつもくり返している言葉は私たちの肉となり骨と なって、人生を動かしているのです。

ストレスに耐えられるように言葉を学びましょ う。

そうすれば、急な場面で間違わないようになります。

・いくら嫉妬してもよい。嫉妬心を向上心に変えることが大切

嫉妬だらけのこの世界で、どうしたら幸せになれるのでしょうか。

「すべての欲望を捨てよ」という教えに従う人はあまりいないでしょう。

「あいつは無能だから捨てよなどと言うのだ」と陰口をたたかれる恐れもあります。

「無欲に見えればよい」わけでもありません。

競争に駆られている人は他人を信じないからです。

「欲を隠しているだけだ」と疑い、攻撃してきます。

私は、嫉妬心を向上心に変えることが大切だと思っています。

いくら嫉妬してもよいのです。

しかし、「自分もできる」という気持ちを失ってはなりません。

・雲や嵐なしにはいかなる虹もあり得ない。

辛苦の果ての成功と聞くと、私はいつも落語の「中村仲蔵」を思い出します。

江戸時代に実在した歌舞伎役者の噺です。

中村仲蔵は浪人の子から役者になったので、血筋を重んじる歌舞伎界で非常に苦労し、一時はスランプから自殺未込をしたほどです。

しかし、努力の末、名題(看板役者)にまで昇進しました。

当然、周囲のやっかみは強く、次の芝居の役は仲蔵の役は「忠臣蔵」五段目の定九郎だけでした。

定九郎は山賊の扮装で現れてすぐ死ぬ悪役で、名題にふさわしいとはいえません。

しかも五段目は食事に立つ客が多い時間帯です。

仲蔵は怒り、誘われていた上方(関西)歌舞伎に行くことも考えました。

しかし、 妻が「上方でも成功する。行きなさいな」とは言わず、「これは、この役を立派にやりとげなさいという仏のお告げですよ」と諭すので、考えを改めました。

そして画期的な役づくりをしようと寺に願をかけ、毎日参拝します。

しかし妙案は浮かばず、満原の日には雨に降られ、寺近くの蕎麦屋に飛び込みました。

そこに浪人者が入ってきました。

色白で、伸びた月代から雨水が垂れ、刀を帯びて 尻をはしょるという異様な姿です。

それを見た仲蔵は「これだ!」と思いました。

そして工夫を重ね、初日を迎えたのです。

客が食事に立とうかというところに、水を垂らして定九郎が出てきます。

その姿は斬新で迫力に満ち、客は誰もが息を呑んで見とれたのでした。

こうして中村仲蔵は、名優の名を欲しいままにするのです。

・あまりに目立つ才能があると、人に使われるだけで終わってしまう恐れがある

先頭を走ること、強く有能なことは危険でもあります。

中国に「直木は先ず伐られ、甘井は先ず噶く」ということわざがあります。

まっすぐに伸びた木はよい木材になるので、最初に伐られてしまう、おいしい水の出る井戸は真っ先に飲み尽くされてしまう、という意味です。

山本玄峰老師は書が巧みでした。

ある信者が、「老師のように立派な字を書きたいから書道を習いたい」と言うと、玄峰老師は「字がうまいと人に使われてしまう。もし習いたいなら、俺の年になってからにしろ」と答えたということです。

・幸福につながるか、不幸のもとになるかは、あらかじめ決まったものではなく

数人で寿司屋に行ったところ、漱石がガリ(甘酢生姜)を食べると弟子もみな食べ、 漱石が掲げた海老の頭を残したら、みな残したというのです。

しかし、漱石は海老が好きで、その日は歯が悪くて頭を噛めなかっただけでした。

「君たちも歯が悪いのかね」と漱石は笑ったということです。

おいしいものを食べると、幸せを感じます。

しかし、おいしいものは幸せの素材にすぎません。

心配事があったり、会食の相手が嫌いだったりすると、せっかくのご馳走も砂を噛むような味になるものです。

人生の出来事も同じです。

幸福につながるか、不幸のもとになるかは、あらかじめ決まったものではなく、人や場合によって、どちらにでもなっていくことが多いのだと思います。

出版社や編集者は、「よい本が売れるとは限りません。売れないと思った本が売れることも多いんですよ」と慰めてくれますが、私は売れないと落胆します。

そして、「本を出すことは種子まきであり、そこから幸福が芽吹くか、不幸が生え をてくるかは運次第だな」と思うのです。

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