『静学スタイル 独創力を引き出す情熱的指導術』より

学級経営

『静学スタイル 独創力を引き出す情熱的指導術』
(井田勝通 著)
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・サッカーのコーチングというのは、一生涯をかけてやり続ける心意気が大切
・長い時間を費やして、地道にコツコツと努力を続けていかないと、一流の選手になれるはずがない。
・大切なのは「スイッチ・オン」 いかに子供の心に火をつけるか
・教育とは、学生たちの心に火を灯し、そしてその火を燃やすことだ
・「心のスイッチをオンにしないと遺伝子は動かない」
・男子の試合で「○○さん」はどう考えても違和感が残る。高校野球だって選手の敬称は「君」だろう。こういう平等意識を俺は「悪平等」と呼んでいる
・そういう理不尽さを理解したうえで、前向きに取り組んでいけるかどうか……。そこで、人間の価値は決まってくる
そこで、人間の価値は決まってくると俺は思う。

・サッカーのコーチングというのは、一生涯をかけてやり続ける心意気が大切

開講式の挨拶で、当時JFAの名誉会長だった野津謙さんがこんな話をした。

「サッカーのコーチングというのは、一生涯をかけてやり続ける心意気が大切です。

人間を指導し、育てるという仕事は、大変困難で勇気のいる仕事です。

だからこそ生涯をかけてやり続ける心意気が必要なのです。

そういう大変重要な仕事をやる人間は、絶対に途中でくじけてはいけないのです」

「その人がコーチングという仕事を通して、『スポーツの神髄』に達することができたなら、その人物は一流になったということです。」

・長い時間を費やして、地道にコツコツと努力を続けていかないと、一流の選手になれるはずがない。

「15歳までに100万回ボールを触れ!」

俺は常日頃、口癖のようにこう言い続けている。

そうやって長い時間を費やして、地道にコツコツと努力を続けていかないと、一流の選手になれるはずがない。

しかしながら、日本の場合は各年代ごとに勝利が強く求められる。

勝ったら指導者は高く評価されるけど、勝てなかったから評価されず、瞬く間にクビになる。

9歳でも 10 歳でも 11 歳でも 12 歳でも勝てなかったらダメという考え方で、日本全国のジュニアチームは運営されている。

その結果、少年の時に天才だと言われた子の大半が、高校生くらいになると平凡な選手になってしまう。

・大切なのは「スイッチ・オン」 いかに子供の心に火をつけるか

子供を教える時、俺がモットーとしている格言がある。

「出るクイを伸ばせ」

「能ある鷹は爪を出して、もっと磨け」

実際、スポーツ選手は年齢が低ければ低いほど覚えも早く、頭の中の柔軟性も高い。

小学生と中学生に同じリフティングやフェイントをさせたら、小学生の方がすぐに習得する。

だからこそ、早いうちにサッカーを好きにさせ、とことん追求する気持ちを持たせることが大事だ。

いかに心に火を灯すか……。

俺は「スイッチ・オン」と言っているけど、心のスイッチをオンさせられるかどうかが指導者に問われるところなんだ。

・教育とは、学生たちの心に火を灯し、そしてその火を燃やすことだ

解剖学の権威で京都大学の総長(第16代)を務めた平澤興さんは、かつてこんなことを言っていた。

「教育とは、学生たちの心に火を灯し、そしてその火を燃やすことだ。

そして、その火を燃やすためには、指導者が熱く燃えていないといけない」と。

それはサッカーにおいても、当てはまる。

選手たちの心に火を灯すには、まず指導者が高い志を持って、燃えていないといけないん

・「心のスイッチをオンにしないと遺伝子は動かない」

また生物学者の村上和雄さん(筑波大学名誉教授) は、次のようなことを言っている。

「心のスイッチをオンにしないと遺伝子は動かない」

難しいトレーニングをやらせると、「できない」と言い出す選手がいる。

でもそこで、「いや、お前はできるんだ。できるようにするのがお前なんだ」と、しつこく説いていくそうだ。

スイッチがオンになるきっかけは、人によって違う。

でも指導者が選手たちに我慢強く、アプローチしていくことで、ふとした瞬間にスイッチがオンになる。

・男子の試合で「○○さん」はどう考えても違和感が残る。高校野球だって選手の敬称は「君」だろう。こういう平等意識を俺は「悪平等」と呼んでいる

2015年夏の全国中学校サッカー大会に出た学園中のアドバイザーとして帯広に行った時も、驚くべきことがあった。

まず試合前の選手紹介。

「1番、GK、○○さん」「2番、DF、○○さん」と男子の大会なのに全部さんづけで紹介していたんだ。

どうやら理由は「男子が君、女子がさんと区分けすると差別につながりやすいから、全員を平等に扱うためにさんづけに統一した」ということらしい。

だが、男子の試合で「○○さん」はどう考えても違和感が残る。

高校野球だって選手の敬称は「君」だろう。

こういう平等意識を俺は「悪平等」と呼んでいるが、それも指導現場ががんじがらめにされる一因になっていると思う。

試合中の指示の仕方についても物言いがついたから驚きだ。  

学園中の監督の岡島が、横パスをしてボールを奪われた選手に声を荒げたんだ。

「お前、横パスはダメだと言っただろう。気をつけろ」と。

これを見ていたJFAの関係者が試合後、「岡島監督は選手をリスペクトしていません。言い方を改善してください」と言ってきたんだ。

岡島も俺も「冗談じゃない」と言い返したけど、少し強い言葉を言うだけで、そんなふうに注文をつけられていたんじゃ、勝ちにこだわるサッカー指導なんかできるはずがない

・そういう理不尽さを理解したうえで、前向きに取り組んでいけるかどうか……。そこで、人間の価値は決まってくる

だけど、もともと人間社会というのは、生まれながらにして不平等だ。

総理大臣の子供として生まれるのと、難民の子供として生まれるのでは、環境は全く違うのは事実。

正直、生い立ちで人生の半分以上は変わるかもしれない。

男女の性別だって差はある。

一緒に勉強したり、スポーツをしたりする意味では男女平等でいいけど、やはり男には男、女には女の世界はある。

男だけで真剣に戦っている場面で「○○さん」とか敬称つけて呼び合うなんてありえない。

呼び捨てで十分なんだ。

サッカーにしても、相手がファウルをしようとも、ハンドをしようとも、審判がゴールという判定を下せば1点が入る。

取られた側がいくら食い下がったところでゴールが取り消しになることはないし、勝敗が変わることもない。

そういう理不尽さを理解したうえで、前向きに取り組んでいけるかどうか……。

そこで、人間の価値は決まってくると俺は思う。

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