『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』より

仕事術

『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』
(ひろゆき(西村博之)著)
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・満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいい
・「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決する
・プログラミングは、掃除や片づけに近い
・過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが、仕事としての仕上がりのクオリティは高い
・時間に追い立てられない生き方をしていたので、僕だけが、トラブルが起きてもすぐに対応できた
・時給仕事は、 質の高い仕事をすればするほど、じつは人生のコスパが悪くなる
・トルコのことわざに、「明日できることは、今日やるな」というものがあります。  
・罪悪感がわいてきて仕事に着手できる
・「いったん始めた行動を継続すること」は、比較的ストレスなくできる
・人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら、人を雇ってでもやる
・自分が好きで「楽しい」と感じられることをやっていくのが正しい
・ウソをついてでも自分の時間を確保することに力を注いだほうが、人生、はるかに楽しい
・できる人に頼んでしまうのが、一番ムダがない
・最適解でなくても別に困らないものは、一番安いものでいい

・満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいい

睡眠時間を削って何かをしても、寝不足では能力値が格段に下がっているから、あまりいいアウトプットができません。

だったら、睡眠不足のまま期限どおりに質の低いアウトプットをするより、ちゃんと満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいいんじゃないか、というのが僕の考え。

・「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決する

遅刻されて怒る人もいるのでしょうが、そもそもの発想が遅刻を前提としていないからだと思います。

待ち合わせ場所を決める時点で、「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決するんじゃないでしょうか。

たとえば僕は、学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていました。

書店なら、雑誌とか本を立ち読みしている間にあっというまに 30 分くらい経ってしまうから、僕が遅刻して行っても怒られたことはありません。

・プログラミングは、掃除や片づけに近い

プログラミングなんかもそうです。

画面上に何かを表示させるために、必要な指示を並べていくのがプログラミングですが、それは「やるべき作業をこなしている」だけであって、別に「頭を使っている」わけではありません。

「あるべきものを、あるべき場所に並べていく」という意味では、プログラミングは、掃除や片づけに近いですね。  

・過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが、仕事としての仕上がりのクオリティは高い

僕自身の経験としては、過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが、仕事としての仕上がりのクオリティはかえって高くなる傾向があるように思います。

仕事で「ものすごく頭を使ったなぁ」と思ったことがありませんし、それよりはるかに、遊びに頭を使っていると思います。

割合で言うと 遊びに8割、仕事に2割 くらいでしょう。

・時間に追い立てられない生き方をしていたので、僕だけが、トラブルが起きてもすぐに対応できた

同じころに似たような掲示板を作った人は、僕以外にもたくさんいました。

だけど最終的に2ちゃんねるだけが生き残り、僕はたくさんのお金を手にすることができました。

その要因はひとつではないけれど、そのころから僕が時間に追い立てられない生き方をしていたというのはデカい気がします。

僕だけが、トラブルが起きてもすぐに対応できたし、なかなか儲けが出なくて他の人たちが見切りをつける中で、僕だけは続けていた。

・時給仕事は、 質の高い仕事をすればするほど、じつは人生のコスパが悪くなる

たとえ仕事の質を上げる余地があっても、頑張ろうと頑張らなかろうと時給は大して変わらない。

そうなると、人間ってだんだん腐ってきちゃうこともあると思うんですよね。

どんどん生活のテンションが落ちてきて「人生つまんねぇな」ってなっても、しょうがない気がします。

つまり、働いているほうとしては、時給仕事は、 質の高い仕事をすればするほど、じつは人生のコスパが悪くなる ということなのです。

それよりかは、質を上げるほど評価も報酬も高くなるという軸のある仕事を目指したほうが、人生はより楽しくなるのではないでしょう。

・トルコのことわざに、「明日できることは、今日やるな」というものがあります。  

・罪悪感がわいてきて仕事に着手できる

まず、ゲームや映画観賞など自分の好きなことをやって、自分を甘やかす。

そうしておいてから1枚、領収書を処理すると決めておくのです。

たとえば「今から4時間、好きなゲームをやったら領収書を1枚だけ処理する」という感じです。

人間心理として、やるべきことがあるときに、自分の好きなことをやっていると罪悪感が出てきます。

だから、自分を甘やかすと「さすがに、そろそろ取り掛からないとな……」という罪悪感がわいてきて着手できるのです

・「いったん始めた行動を継続すること」は、比較的ストレスなくできる

着手すること」にはストレスを感じがちですが、「いったん始めた行動を継続すること」は、比較的ストレスなくできるという心理作用も働きます。

「ものすごくイヤなこと」を、「それほどイヤじゃないな」という心理状態で継続しているときに止めると、また「ものすごくイヤなことを始めなくてはいけない」というステージに戻ってしまうことになります。

だから、「継続したほうがトクだ」という心理が働くわけです

・人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら、人を雇ってでもやる

たとえば、プログラマーを雇うのに20万円かかるとして、そのお金を惜しんで自分でプログラムを書いたとします。

これだとたしかに20万円は浮きますが、そうしたところで、そもそも20万円程度の売上しか見込めないようなプロジェクトだったら、そんなのやる意味なくない? と思うわけです。

人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら、人を雇ってでもやるし、その程度の利益も見込めないのなら、自分ひとりでもやらない。

仮に1000万円の売上が見込めるプロジェクトだったら、 20 万円をケチる必要はないわけです。

人に 20 万円払って手を動かしてもらえば、その間に、僕はまた、僕にしか考えられない別のこと を考えられる。

・自分が好きで「楽しい」と感じられることをやっていくのが正しい

動物は、目の前に食べものが並んでいると、自分の体に必要な栄養素を含んだ食べものを自然と選んで食べるそうです。

じつは、これは人間の赤ちゃんも同じだと言います。

糖分の甘みを「おいしい」と感じる前の発達段階では、「体に必要なもの=おいしいもの」だから、おいしいものを選ぶことが体にとっても正解というわけです。

これを生き方に当てはめてみると、 自分が好きで「楽しい」と感じられることをやっていくのが正しい という場合が、本質的には多い気がする。

・ウソをついてでも自分の時間を確保することに力を注いだほうが、人生、はるかに楽しい

「ウソをついてまで、ズル休みをしたくない」という志を持って働くのも立派な生き方だと思います。

でも、そんなものに縛られて、 満足にやりたいこともやれずに人生終わってしまうくらいだったら、ウソをついてでも自分の時間を確保することに力を注いだほうが、人生、はるかに楽しくなるはず

・できる人に頼んでしまうのが、一番ムダがない

世間では、会社などでもPDCAとか、試行錯誤的な発想がもてはやされていますよね。試しては修正して、どんどん精度を上げていくっていうやり方はたしかに理屈には合っているように見えますけど、個人でコツコツやっていても、僕にとっては時間のムダにしか思えません。

それよりも、できる人に頼んでしまうのが、一番ムダがなくていいんじゃないでしょう

・最適解でなくても別に困らないものは、一番安いものでいい

僕は基本的に思ったとおりに行動していて、計画性などはあまり考えていませんが、「迷う必要がないところで迷わない」というのは、無意識のうちに仕組み化してきた気がします。

最適解を探す必要がないものや、最適解でなくても別に困らないものは、一番安いものでいいと思います。

アップされているのは、他人のキラキラした一瞬に過ぎない

自分の作品を投稿して、ビジネスにつなげている人などは別として、 一般の人は、SNSなんて見ないほうがいいと僕は思っているのです。

SNSに自分のカッコ悪いところを載せる人って、あまりいませんよね。

SNSばかり見ていると、つながっている人たちがみんな、自分とは違うキラキラした人生を送っているように錯覚して落ち込みやすくなります。

アップされているのは、他人のキラキラした一瞬に過ぎません。

だけど、そればかり見ているうちに、それが普通だと錯覚してしまう。

そして、普通に暮らしている自分が、普通以下の底辺の人間に思えてくる。

こんなふうに、じつは自分を落ち込ませるものを見ることにせっせと時間を費やしているとしたら、かなりバカげていると思いませんか」

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