『なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント』より

本の学び

『なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント』(斎藤 環 著/佐藤 優 著)
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・「人と会うこと」に対する「耐性」が低い人たちなどは、現状が非常に心地いいと言う
・私は、一回会って「合わないなあ」と感じたら、二度目は断ります。
・人が「人と会うこと」に対して感じるニーズ。あるいは耐性には、「会いたい」「会うのはつらい」そして「その中間タイプ」という、ざっくり言って三つの類型がある。
・人に会うというのは、どんなに相手が優しい人であっても、お互いが気を遣い合っていたとしても、それぞれの持つ領域を侵犯し合う行為。
・「会ったほうが、話が早い」から
・そこに「物」として存在するということが、非常に強い力を及ぼす。
・実際に会わないと満たされないものが二つある、「欲望」と「関係性」
・「欲望は他者の欲望である」
・目指すべきは、対面とリモートを組み合わせたハイブリッドな働き方、暮らし方
・「酸っぱい葡萄」は無理して食べる必要はない
・心の中に「逃げる自由」を確保する

・「人と会うこと」に対する「耐性」が低い人たちなどは、現状が非常に心地いいと言う

「コロナ社会」におけるメンタル状況について聞き取りをすると、「感染症は治まってもらいたいけれど、コロナがもたらした今の社会状況はなくなってほしくない」と言う人が、それなりの数いた。

こいう人たちにとっては、「対面が前提」の世界はまさに地獄で、コロナによってようやくそこから脱出することができた。

・私は、一回会って「合わないなあ」と感じたら、二度目は断ります。

相性が合わないと感じる相手との接触は、摩擦を増やすだけ。

・人が「人と会うこと」に対して感じるニーズ。あるいは耐性には、「会いたい」「会うのはつらい」そして「その中間タイプ」という、ざっくり言って三つの類型がある。

・人に会うというのは、どんなに相手が優しい人であっても、お互いが気を遣い合っていたとしても、それぞれの持つ領域を侵犯し合う行為。

私も「優しい編集者」なども含めて、多くの場合、人と会うのにはやっぱりしんどさを感じる。

佐藤さんでもそうなのですから、読者の方は、しんどくても心配する必要はありません(笑)

・「会ったほうが、話が早い」から

どうして人間はわざわざつらい思いをしてまで、人と会おうとするのでしょうか。

「会った方が、話が早い」からだというのが、現時点での私の結論。

考えてみれば、これは暴力の本質でもある。

・そこに「物」として存在するということが、非常に強い力を及ぼす。

そもそも面と向かって会うことが、そういう暴力性を帯びるのはなぜか?

実は目の前に人間がいるといのは、それ自体が自我境界を脅かす出来事だった。

そのことによ、我々はZOOM画面に映るタイル状の平たい顔面をはるかに越えた情報量、エネルギーを否応なしに受け取ることになる。

いったんその関係に巻き込まれると、身動きがとれなくなるようなところがある。

・実際に会わないと満たされないものが二つある、「欲望」と「関係性」

会うことの意義が最大化されるのは、この二点に関してだ。

ひきこもりの人は、他者に矯正されたわけでなく自ら進んで閉塞環境に身を置く。

そのような場合には、欲望がどんどん低下していく、という事実がある。

私は、ひきこもりの回復の指標は祖湯費活動をどれだけするかだと考えているが、たいていのひきこもりの人は1年間に10万円も使わない。

・「欲望は他者の欲望である」

フランスの精神分析家ジャック・ラカン。

欲望や意欲というものは、自分の中から自然に芽生えるもののように見えて、実は他者が起源で、他者から供給し続けてもらわないと維持できない、とラカンは説く。

例えば、人は、なぜが人の欲しがるものを自分も欲しいと思う。

自分の欲望を他者に見せつけて、その承認を得たいと願ったりする。

しまいには「満たされない欲望を持ちたいという欲望」を持ってしまったりする。

・目指すべきは、対面とリモートを組み合わせたハイブリッドな働き方、暮らし方

暴力を嫌う人を無理やり対面の場に引っ張り出すのではなく、在宅で仕事をしてもらえば、効率はアップする。

・「酸っぱい葡萄」は無理して食べる必要はない

「酸っぱい葡萄」というのは、あながち負け惜しみではなくて、「俺は自分にとって無意味な競争からは下りて、自分に適した餌やねぐらを見つけるよ」という、それこそ現代的な思想として読み換えられるのではないか。

・心の中に「逃げる自由」を確保する

社会の中で生きる個々のレベルでは、もっと「逃げる自由」を肯定的に捉えてもいいのではないか。

逃げないことで折れてしまう人が、あまりにも多すぎるのではないか。

男性が自殺しやすいのは、まさにそれ。

誰にもそうだんできない、苦痛を訴えることもできない、と自ら逃げ場を閉じてしまう。

「逃げないことに価値がある」という「昭和の男社会の発想」が、頑強に沁みついている。

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